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【ヲタ30代ホイホイ】私がハマったサブカルチャーを時系列と共に紹介

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Webデザイナー、UI/UXデザイナーの@sdesignlaboです。

S.Design.Laboの中の人である「バーグさん」についての紹介記事です。
当時の時代背景や好きだったゲームやサブカルチャー等を交えながらの雑談です。

1980年代生まれのゲーマーの方なら色々と共感できる内容かもしれません。

小学生時代

小学生時代の私の生態系について紹介します。

ゲームとミリタリー好きの子ども

小学生低学年の頃からエアガンとミリタリープラモとテレビゲームが大好きな子どもでした。
ベレッタとデザートイーグルのエアガンを常に携帯。

初めて遊んだゲームソフトは「FC版グラディウス」です。
なので初めて知った「裏技コマンド」は勿論コナミコマンドです。
↑↑↓↓←→←→BA」は有名ですね。
ううまま うままう うまう うままう」この謎の呪文を実際にやっていた方とは話が合うかも。

元々は兄のファミコンでしたが、全然使われていなかったので私が独占していました。
毎日ゲームゲームゲーム、当時のRPGはパスワードでセーブするものが多く、パスワード帳を何冊も作っていましたっけ。

ファミコンのやりすぎでしばしば母親にファミコンのアダプタを隠されていましたが、その度に見つけ出してこっそり遊んでいました。当時のゲーマー少年あるあるです。

友達とはゲームかエアガンでサバイバルゲーム。
一人の時はゲームかタミヤのギヤボックスとキャタピラパーツを組み合わせて戦車作りをしていました。

小学生時代の好きなゲームTOP5

  • グラディウスⅡ
  • ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々
  • ヒットラーの復活
  • くにおくんの時代劇だよ全員集合!
  • ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会

ファミコン時代は今は無きテクノスのゲームが最高に熱かったです。
中でも「それゆけ大運動会」は友達と遊ぶとリアルファイトになるくらい熱いゲームでした。

友人をゴールさせまいと鉄アレイとかタイヤとかでボッコボコにギバキ合い、でも知らぬ間にAIが1等賞、あるあるでした。

そういえば「ヒットラーの復活」の説明書、中古屋のご主人が勝手に取ったであろう白黒コピーのものでした。時代ですね。。。
でもなんかね、いいですよね、こういうの。

本気で熱くなった対戦ゲーム

ちなみに私がこれまでで対戦で心底熱くなったゲームは「それゆけ大運動会」と「ギアーズオブウォー3のTDM」です。
後にも先にも本気で熱くなった対戦ゲームはこの2本だけです。

ゲームにムキになってる姿を客観的に見るとバカ丸出しですが、まさにソレになっていました。

中学生時代

中学生時代の私の生態系について紹介します。

スーファミでゲームの世界が広がった中学時代

中学校に上がる前に買ってもらった「スーパーファミコン」と「ストリートファイターⅡ」をきっかけに、小遣いの大半をゲームに費やすようになりました。

ファミコンからスーパーファミコンになり格段にゲーム内の表現が増えてゲーマー少年には嬉しい時代でした。

ちなみに仕事中のBGMは99%ゲームサントラなのですが、「時の回廊」、「風の憧憬」、「みどりの思い出」、「さらなる広い世界へ」、「新しき世界」、「風が呼ぶ、蒼穹のシェバト」は1日中エンドレスで流している日があるほど好きな曲です。

多くがスーファミの曲です。フィールド曲が特に好きで、「新しき世界」は脳内で自動再生される飛空艇のプロペラ音とワンセットです。 

注意
ちなみにスーファミのFFVで洞窟の上に飛空艇を止めると悲惨な事が起きます。絶対してはいけません。当時は盛大にやらかしました、オメガを倒した後の結構やり込んだデータで。。。

中学生時代の好きなゲームTOP5

ちなみに下記は中学生の頃に遊んだSFCソフトで特に好きなソフトTOP5です。

  • クロノトリガー
  • 天地創造
  • アクトレイザー
  • ソウルブレイダー
  • ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁

特に今は無きゲーム会社クインテットの作品が大好きで、中学の頃に遊びつくしました。
「そう、あんたのにくだよ」って。

上記ソフトがミニスーパーファミコンに1本も入らなかったのが悲しかったです。
しかし「魂斗羅スピリッツ」が入ったのは嬉しい誤算でした。

名作SFCソフトがいっぱいの時代

当時はスーファミの名作ソフトがバンバン発売されていた時期でした。

ガイア幻想記」と「ファイヤーエムブレム 紋章の謎」、そして「ファイヤーエムブレム 聖戦の系譜」が大好きなので入れるか迷ったのですが、自分で買わずに借りたゲームなので今回は除外。

聖戦の系譜と言えば、頑張って育てたシグルド御一行の結末は当時衝撃的でした。
かの有名な「バーハラの悲劇」ですね。
シグルド一行と嫁さんのディアドラがどえらいことになります。うはは。

いやー、ファイヤーエムブレムシリーズの中でも特に聖戦の系譜が好きです。

斬新なワンダープロジェクトJ

そういえば当時「ワンダープロジェクトJ」というスーファミのゲームをバリバリのアクションゲームと勘違いして購入したんですよ。
実際は主人公ピーノを育成して物語を進める育成ゲームなのです。

え~、何それ、自分でキャラ操作できないの?でもせっかく買ったしなぁ…
と気乗りしないまま遊んでみると…すごく面白いんです。

ピーノに指示を与えて学習させて目の前の課題をクリアさせると、おぉ~ってなります。
またジブリ的なキャラがいちいち細かく動いて、動いている姿を見てるだけで楽しかったですね。

アクションじゃなくてこういうジャンルもあるのか…と当時は驚きました。

鬱展開のゲームの虜に…

ライブアライブ」、「バハムートラグーン」、「フロントミッション」等、多感な時期の少年には少し衝撃的な展開のゲームも…
先に書いた「聖戦の系譜」の親世代の最期なんてもう…

中二病も相まって鬱展開、バッドエンド、救いのない展開…そんな作品の魅力に取りつかれつつありました。

駄菓子屋のゲーム筐体

そういえば今は駄菓子屋の前で立ってプレイするアーケード筐体なんて見かけないですが、当時その筐体で「リアルバウト餓狼伝説」にハマりまくってました。
超必出せたら大満足、当時のコマンド入力は非常にシビアでした。

高校生時代

高校生時代の私の生態系について紹介します。

ヲタの高校時代

高校時代は学校が少し街中にありゲームショップが点在、ゲーオタアニオタ趣味に拍車がかかった頃です。

プレステ、セガサターン、エヴァ、攻殻機動隊、ガオガイガー、ナデシコ…完全にハマりました。
セカイ系到来の時期ですね。当時の年齢と相まってツボりました。

あと今更ながらファイブスター物語を知ってレッドミラージュのプラモ買ったり、「いかにも」な作品群を好んでいました。

毎日のようにゲームショップを何件も巡り、掘り出し物のゲームソフトをひたすら漁ってはゲーセンで怒首領蜂(「どどんぱち」と読みます。知らないと「どしゅりょうほう」と読んでしまいそうです。)やエスプレイド、ストライカーズ1945Ⅱにコイン投入、弾の海を泳いでいました。

レイストームとかエースコンバットも好きですが、特に完全な2Dシューティングゲームが好きです。
でもレイストームの最終ステージとユグドラシル戦のBGMは大好きです。
BGMを聴くと自動的に脳内でロックオンのSEが再生されます。

ちなみにSEは雷電Ⅱのボス撃破時の爆発音が大好きです。
ラピュタのパズーが使う大砲っぽい響きの爆発音が最高です。

当時の大型中古量販店はお宝の宝庫

そういえば当時バツグンやレイディアントシルバーガン、バトルガレッガ、lain、ゼノギアスの設定資料といったレアソフト、レア本がブックオフで500円で叩き売りされており、超テンションが上がったのを今でも覚えています。
今じゃレアソフトのたたき売りなんて見かけないですからね。

当時の大型中古量販店の値付けは適当な場合が多かったので、本当にお宝の宝庫でした。

懐かしのデジキューブ

ちなみに1998年頃から数年間はコンビニでゲームが売られていました。
PSN等の金券カードとかではなく、ケースに入ったゲームソフト本体です。

割とメジャータイトルしか無かったのですが、今は無きデジキューブがコンビニ限定特典付けて販売。
定価販売だったのですが、特典欲しさにデジキューブで予約をしていました。

クロノクロスとクロノトリガー専用の収納化粧箱とか置時計とか、あんなのがイイんですよあんなのが。

限定版を求めて

この頃から限定版がよく発売されるようになりました。
ファミ通でお目当てのソフトに限定版アリの小さな字を発見すると学校終わりに自転車飛ばして予約。
無ければ次の店に駆けつける。

限定版入手しても結局通常版も買って限定版は未開封のまま。
興味の無い方からすると???ですね。

当時ヴァルキリープロファイルの限定版欲しさに自転車飛ばして必死こいて何件もゲームショップ巡りをしたのですが全滅…懐中時計とかカレンダーとか入っているものです。
最後に諦め半分でマツヤデンキを訪れると、何と1つだけ空いてるよ、って。
あれは本当に嬉しかったです。

こじんまりした電気屋さんの片隅にあるゲームコーナーが実はレアでオタ臭い商品を手に入れやすい場所だったのです。

ゲーム業界に進路を定める

と、漫画とゲームが日に日に増えていく毎日でした。 
高校時代から自然とゲーム業界に関心を持ち、その道を目指すようになりました。

最初は某専門学校のゲーム制作コース、イラストコースにすごく惹かれてて資料請求をしたのですが、周囲の反応は微妙。。。絵の経験ゼロなのに無謀、やめときなさい、とズバリ。

大学進学を強く進められて渋々情報系の大学を目指すことにしました。

高校生時代の好きなゲームTOP5

ちなみに下記は高校生の頃に遊んだSFCソフトで特に好きなソフトTOP5です。

  • ゼノギアス
  • レイディアントシルバーガン
  • ヴァルキリープロファイル
  • ファイナルファンタジーⅦインターナショナル
  • メタルギアソリッド

高校時代は300本以上のゲームを遊びましたが、上記5本が思い出補正込みで私的TOP5です。
メタルギアソリッドは受験勉強そっちのけで遊んでました。終わってますねw

「ワイルドアームズ セカンドイグニッション」、「グランディア」、「テイルズオブエターニア」辺りも迷うところですね…

天空っていいよね

ところで「天空」っていいモンですよね。
天空に古代都市とかお城とか、夢があります。

ラピュタとかクロノトリガーの古代とかゼノギアスのシェバトとかドラクエの天空城とかエスカフローネとか。
天空に何かが出てくる作品はいいモンです。

今も昔も少年少女が謎パワーで世界を救う中二臭い内容が大好きなのですが、当時が一番好んでいた頃です。

大学生時代

大学生時代の私の生態系について紹介します。

自作PCに大ハマり

大学では情報科学部という学部に進学しました。

C言語?ポインタ?構造体?何それ?
ってな具合で、よく分からないままヘッポコの私は優秀な友人の力を頼りに何とか単位を取得。

授業よりも当時はPCの自作や改造が大好きでした。
ゼミの教授に大学のPC管理のバイトを紹介してもらったのは有難かったです。

WindowsやMacといった普通のPCだけでなく、サーバ管理もやってました。

稼いだバイト代は全てPCとゲームに

夜は近所のパチンコ屋でバイト、稼いだお金はPCやゲームや趣味に全部消える、そんな日々です。

そういえばパチ屋にいた頃、常連のおもろいおっちゃんに釘の見分け方のコツを教えてもらいました。
「おっちゃんな、パチだけで食うてるんやで。兄ちゃんにもええ台見分けるコツ教えたろな。この店よぅ出るから助かるわ~、今日は鰻食うたるで」って言いながらジャラジャラ出してるんですよね。

どんな世界でもプロっているもんだ、と思いました。

せっかくおっちゃんからコツを教えてもらいましたが、パチ屋で働いているのにも関わらずパチ屋でお金を使う事は1度もありませんでしたが。。。

ネトランとかマトリックスが流行

ちなみにその頃はネット世界に大ハマり。
当時はWinMXとかShareとかネットランナーとか、何でもアリの時代でした。

そういえばマトリックスオフって流行りましたね。
リローデッドの時代です、超なついです、マトリクース大好きです。
ウォシャウスキー兄弟はいつの間にか姉妹になってしまいました。

関係無いですが、マトリックスのDVDの隣に何故か最終兵器彼女の漫画を定位置として置いていました 。
ザ・セカイ系漫画って感じの漫画ですね。
最終話の後、二人は一体どうなったのやら。

ゼミの研究内容は画像処理

ゼミではCGを専攻し、画像処理の研究、モデルのモーフィングについて研究していました。
モーフィングとは例えば人間が動物へスムーズに変化するような、そんな事の研究です。

モーフィングって何?」と聞かれたら当時は「T-1000おるやん、ターミネーター2に、アレみたいなやつ」と言ってました。

ちなみにデザイン方面ではなく、基礎的な理論の研究です。
大して興味がわきませんでした。
授業サボって昼間からよく飲んでました。

研究発表では似ても似つかない泥人形のような坂本龍馬が土方歳三に変化するモデルを作って研究内容を発表、可も無く不可も無く終了したのを覚えています。

結局デザインの道に惹かれる

なんとか単位取得し、大学卒業を目前に控えてゼミの教授に紹介してもらった職場に就職…という道を選択せず、デザインの専門学校へ進む事を決めました。

教授に紹介状書いてもらったら入学金が10万円免除されるのでお願いします、って頼みにいったら「就職どうすんの?」って呆れ顔で言われました。

絵やデザインを全くした事ない人が、大学卒業していきなり絵の専門学校に行きますなんて、あまり聞かないですからね。。。

大学生時代の好きなゲームTOP5

ちなみに大学時代の心のゲームTOP5は下記です。

  • グラディウスⅤ
  • 怒首領蜂大往生
  • 罪と罰 ~地球の継承者~
  • 斑鳩
  • メタルギアソリッド2サブスタンス

シューティングが多いです。
怒首領蜂大往生と斑鳩は大学サボってゲーセンでよくプレイしていました。

今も昔もトレジャーのゲームが大好きです。
VRで罪と罰の新作が出ないかなぁ。

専門学校生時代

専門学校生時代の私の生態系について紹介します。

画力ゼロからスタート

周りから色々言われましたが、半ば強引に専門学校に絵心ゼロのまま入学しました。

度きりの人生ですからね、やらずに後悔するより、やって後悔、後の事は知りません。

回り回って学校は違えど高校時代に夢見ていた道に進みました。
…代わりに奨学金という名の借金を抱える事になりましたが。

ちなみに入学当初は画力ゼロ、こんな絵でした。
当時の自分的には時間をかけて一所懸命丁寧に描いた絵です。
妖怪のような風貌をしていますが、モデルは美男美女です。。。

専門学校入学当時の絵 その①
専門学校入学当時の絵 その②

周りは高校卒業したての18歳、私は22歳、結構歳の差があり描ける方も多かったのでドキドキのスタートでした 。
勢いで入学したはいいけど、ほんま大丈夫かいな、と。。。

ちなみにキャラ絵専門の学校ではなく、「イラストレーション」という括りのコースだったので、周囲はアーティスト的な絵を好む方が多かったです。
私のような趣味の方は少数派でした。

上記絵を見てわかるように、イラスト専攻にもかかわらず肝心の絵心が皆無でしたので自宅でひたすら練習していました。
画力云々以前に「まずは描き慣れる」って事でひたすらクロッキー帳にカリカリカリカリしていました。

とある先生に絵ってどうやったら上手くなるか聞いたのですが、返答内容が
「絵の上達方法?ん~、たくさん描きゃ上手くなるよ、たぶん」
と言ってました。

そらそうやわな。その通りでございます。

とりあえずいっぱい描いてみた

で、とりあえずたくさん描いてみました。
日々カリカリと、2年生の後半になると少しずつ描けるようになってきました。
完全に趣味丸出しの絵です。

卒業制作はフィギュア制作

そして卒業制作、イラストを専攻しているのにも関わらず、パテと粘土をこねて1/8フィギュアを作っていました。

その頃はフィギュアにハマっていたのでフィギュアを作ったろ、くらいのノリです。
マックスファクトリーから発売された塵骸魔京のイグニスの出来に惚れて衝動買いをしたのがキッカケです。

部屋も自分も削りカスまみれ。周囲のコイツなにやってんだ的な目が痛かったです。
2年生の頃は授業と課題をそれなりにこなして、後は好きにやっていた気がします。

盛っては削って盛っては削って…の繰り返し。
モリモリ1kg×2とスカルピー1箱使いました。

ポリパテのモリモリ、すごーく臭いんですよ。
つーんって鼻を刺すような刺激臭と言いましょうか。
固まりかけのポリパテをサクサク削る感覚はキモチイイです。

製作期間は3か月くらいだったでしょうか。

ひらすらフィギュアと向き合い、嬉しい事に私のフィギュアが卒業生全体の中で2番目の評価をいただきました。
ビックリです、ありがたいことです。

フィギュアの制作過程を紹介したパネル

専門学生時代の好きなゲームTOP5

当時の私的TOP5ゲームは下記です。

  • ゴッドオブウォー
  • ゴッドオブウォー2
  • ギアーズオブウォー
  • コールオブデューティー4 モダン・ウォーフェア
  • オーディンスフィア

ちなみに当時は洋ゲーにハマりつつある頃でした。

ゴッドオブウォーギアーズオブウォー、名前が似てますね。
略称はGOWGoW、ほぼ一緒。
この2作品には本当に痺れました。

ゴッドオブウォーは全身真っ白のムキムキハゲオヤジ「クレイトス」がアレスって神様に復讐しに行くお話です。
プランBのギアーズオブウォーは近未来世界で仲良しムキムキオヤジ4人衆が地上を侵略してきた化け物地底人をやっつけに行く珍道中です。

どちらも血みどろで戦う屈強なオヤジ達の魅力が半端ねぇです。

ギアーズ3以降も出ていますが、あまりパッとしないような。。。
クリフ版ギアーズの新作を切望します。もちろん日本語吹替のマーカスは廣田行生さんで。


いよいよ洋ゲーのクオリティが変態的になってきた頃ですね。

ゲーム制作会社勤務時代

ゲーム制作会社勤務時代の私の生態系について紹介します。

はじめての3D

専門学校を卒業し、そんな適当な私ですが、大阪のとあるゲーム会社に就職しました。
当時はX-BOX360、PS3をメインに、アクションゲームの開発に携わっておりました。

入社後は真っ先に3Dソフトの扱いを叩き込まれましたっけ。
同期はゲーム学科出身の方もいてとても詳しいのですが、私はド素人。。。

当時はXSI(今の呼称はSoftimageで開発終了してます)を使用しておりました。
最初はもうわけわかんないです。

ぽりごん?てくすちゃ?つーか画面ボタンだらけ、操作むず過ぎ、わかんねぇよ。
しかも全部あめりか語、日本語で書いてくれよ、と。
先輩や同期に教えてもらいながらひたすら画面内のモデルをクルクルカチカチ…

またね、XSIデフォの操作が最高に苦手でした。
なのでMAYA仕様に変更。 
別の方が私のPCを操作すると必ず「アレ?これ操作どないなってんの?」と突っ込まれました。

…とまぁ最初の頃はXSIが大嫌いでしたね。
しかし人間慣れるもので、朝から晩まで1日中触っていると2か月もすればヨタヨタと何とかゲーム中のモデルを作れるようになりました。

あとZ-brushも同時に教わりました。
Softimageでベースのモデル作ってZ-brushにインポートして細かく造形、ノーマルマップを出力、ローモデルに張り付け。
細かい掘り込みが楽しく、またゲームモデルにノーマルマップを反映させた時の情報量の増え方が気持ち良かったです。

3Dで色々作ってみた

下の絵は当時3Dの練習がてら作ってたものです。
趣味が偏ってます。

ロボ君。当時開発していたゲームのシェーダをモロ意識
とあるアニメキャラのローポリモデルは約4000ポリ
アルターから発売されたハルカがいい感じでした

担当は主にエフェクトデザイン

担当ポジションは主にエフェクトデザインでしたが、キャラモデル、背景モデル、UI、デザイン作成等、色々やらせていただきました。

ちなみにエフェクト、最初は「何だかよく分からんポジションだなぁ~、あんまりそそらないな~」って思ってました。
でもやってみると奥が深い…

少しのエフェクトの差で画面の印象や操作感が一変、別ゲー化するんですよね。
ゲームの最終仕上げと言いましょうか。

実は美味しいところを全部掻っ攫えて需要に対して供給が足りていない旨味成分タップリのポジションでした。

私自身が派手なアクションゲームが大好きなので、画面をデーハーに賑やかしすぎて、よくソフト班から「処理重いよ!」って言われました。
自分の作ったエフェクトのせいでデバッグの描画負荷のゲージが一瞬で限界突破、処理落ちしまくり、うはは。

エフェクトが薄いと迫力に欠ける、厚すぎると迫力は出るけど重くなるし操作に支障が出る。
まずはドカっとデーハーに作って、その後処理落ち、操作性に影響しないギリギリまでバランスをチューニング、って作業をよくしていました。
エフェクトは結構描画を食うので最適化処理が大変でした。

「ここの効果はどんなイメージっすか?」
「ん~、ドーン!バリバリ!ってな感じで、あーでも色気も欲しいよね、まぁそんな感じで」
「(色気…?)…あ~、了解でっす」

…といったフワっとした発注で、具体的にあーだこーだ言われず自分の感覚で好きにやらせてもらえたのもエフェクトの特徴でした。

結構色々やらせてもらえる社風

人手が足りない会社で、まぁゲーム業界はどこも足りていないでしょうが…
やりたい事は言えばやらせてくれる社風でした。

そこでゲームのUIが足りていなかったので、やらせて欲しいと言ったらオマケ画面の制作をさせてくれました。
今WEB業界にいるのも、この時のUI制作がキッカケでしょうか。

会社で絵を描くことは無かった

ちなみに 学校はイラスト専攻でしたが職場で絵を描くことはそんなにありませんでした。
あってもテイストが違う絵、段々飽きてくるので仕事中にこっそり趣味絵を勝手に描いてました。
SFチックなのが好きです。

WEBとかUIに興味を持ち始める

ゲーム会社では色々な事を学べました。

ツールの使い方、絵、デザイン等、学生時代では得られない知識と経験が山ほど得られたと思います。
ありがたいことです。

当時エフェクトデザイナーだったのですが、特にUIに惹かれました。
画面の設計とかゲーム中に登場するフォントとか、そんなのをチマチマ作るのが性に合っていたのでしょうか。
そのせいかゲーム制作をしている傍らで自然とWEBに興味を持ち、独学で勉強を始めました。

ゲーム会社退職後はしばらくフリーでPS3やXBOX360のアクションゲームや格闘ゲームの制作、SNSゲームのメインキャラデザインと作画監督、UIUX制作、ソーシャルゲーム用のイラスト制作、そしてWEB等のお仕事をしていました。

その頃に改めて自分が一番好きな分野は何だろうと考えた結果、WEB制作が一番性に合っているのだろうな、という事に気づきました。
また企画、設計、デザイン、開発、保守をポジションごとに別担当ではなく一人で行いやすい、という点も魅力的に感じた要素の一つです。

WEB制作会社勤務時代

WEB制作会社勤務時代の私の生態系について紹介します。

業務でコーディングをガリガリ経験

その後、WEB制作会社に就職し、WEBデザイナー、ディレクターを担当しました。

WEB制作全般、WEBシステムのフロント、アプリ開発、EC運営、DTP、イラストレーター、漫画制作、写真撮影等、なかなか幅広く経験させていただきました。

元々デザイナーとして入社したので所謂デザイン制作をメインに担当していたのですが、入社後すぐにコーディングもガリガリと担当する事に。
多少の知識はあったのですが、業務として日々ソースをガリガリ書くと必然的にコーダーとしての知識が深まりました。

良案件からクソ案件、色んな案件に携わる

裁量権が大きく持てる社風だったのでディレクションからPMまで全部担当する案件もあったりと、やりがいの多い業務でした。
またゲーム開発と違いスパンの短い案件が多く、黒字の良案件から赤字確定のクソ案件まで、多様な案件に携わる事ができたのも大きかったです。

複数案件が同時進行、スケジュール管理、進行管理がどえらいことになることも…

以前は制作に特化した働き方ばかりをしていたので、管理業務を仕事で経験できたのは今に役立っているので非常に良かったと思います。
あと念願の出張を会社員としてようやく経験できましたw

インハウスで半引きこもり状態で日々制作ばかりの会社員生活しか知らなかったので非常に新鮮でした。

新しい地へ向かうワクワク感、仕事の後の観光や各地の旨い物めぐり、孤独のグルメごっこです。
あれはいいものですね、普段使わない脳ミソが色々刺激されて活性化します。

色んなCMSに触れる

また、以前はCMSといえばワードプレスしか触ったことが無かったのですが、a-blogCMSコンクリート5EC-CUBE等、案件として多様なCMSに触れる機会が持てたのは良い経験でした。

色々と触った結果、やっぱりワードプレスが一番好きです。

人と接する機会が増えた

そしてゲーム会社勤務の時と違い、人と会う機会が格段に増えたのが印象的でした。

それまで私が経験してきた制作は籠ってひたすらモノを作る、というスタンスが多かったので、対人折衝のスキルを磨くのに絶好の機会でした。

社内だけでなく頻繁に外部の協力会社と連携を取りながら案件を進める事が多く、おかげでコミュニケーション能力がレベル1から少しは上がったと思います。

その後WEB制作会社を退職し、2018年に独立しました。

今後について

これからもWEB業界をメインに活動していく予定です。

WEB制作全般、デザイン制作についてご相談があればお気軽にお問い合わせください。

また、デザイナー、エンジニアとしてだけでなく、ライター・マーケターとしての向上、そしてゆくゆくは自身で何かしらのサービスを生み出して提供できれば、と妄想しております。

まだ独立したばかり、とりあえず気になる事は色々やってみよう的な、軽い足取りでドンドン挑戦できればと思います!